理事長挨拶

腹膜播種は消化器がんや卵巣癌など腹腔内に発生した癌腫における最も頻度の高い転移・再発形式の一つであり、予後を規定する最も重要な因子といっても良いと思います。「播種」とは、がん細胞が腹腔というフリースペースの中にちょうど「種を撒いた」ように散らばり、腹膜上に多数の転移巣を形成する病態で、進行すると、腸閉塞や水腎症、大量のがん性腹水などを伴う「癌性腹膜炎」という予後不良の状態に陥ります。近年の抗癌剤開発の進歩によって、進行・再発がん患者さんの予後はずいぶん向上しましたが、腹膜播種に対する奏効性は依然として低く、明らかな予後の改善は認められていません。この原因は、いわゆる“Plasma-peritoneal barrier”「腹膜血液関門」という和訳が適切でしょうか?の存在により、全身に投与された抗癌剤の腹膜病変への到達性が極めて悪いため、全身化学療法だけでは十分な治療効果が得られないことにあると考えられています。実は、この現象は古くからよく知られており、多発する病変を可及的に切除する腹膜全切除術や腹腔内に直接抗癌剤と注入する腹腔内化学療法、さらには抗癌剤に温熱治療を併用した温熱化学療法などのさまざまな局所療法が試行されてきました。これらの治療法は、一部の播種患者さんに対して有用であることを示唆する報告がなされてきており、今後の発展が期待されています。しかし、明らかな優位性を示す十分な科学的エビデンスはまだ得られていないため、本邦では未だに薬事承認されておらず、広く普及するには至っていません。
つまり、「解剖学的局所療法」は「地理的局所療法」に留まっているのが現状です。近年の分子生物学の進歩に伴い、がんのゲノム異常に応じた個別化医療の必要性が盛んに提唱されてきています。一方で、切除不能・再発がんは一括りの範疇として同一の土俵で、その治療法に関する議論がなされています。しかし、「同じ切除不能・再発がんでも、病変の存在様式によって、投与した薬剤の分布動態・到達効率も大きく異なるため、がんの転移様式に応じた個別化治療を考える必要がある」という事実については、不思議なことにあまり指摘されていません。腹膜播種の治療については、今まで、胃癌、大腸癌、卵巣癌などの各専門領域で別々に検討されてきた経緯がありますが、その成立のメカニズムや病態は同じです。本研究会では、「腹腔」という解剖学的臓器に生じる様々な癌腫に対する治療について臓器横断的な見地から議論をすることで、予後の厳しい患者さんに適切な医療を提供することを目的として活動していきたいと考えています。腹膜全体に多数の小さな病変を生じる「腹膜播種」に対しては、「腹腔」という局所を上手に利用した安全かつ有効な共通の合理的治療戦略がきっとあると思っています。

日本腹膜播種研究会 理事長 北山丈二
(June, 2020 コロナ禍で自粛継続中)